留学体験記
福岡徳洲会病院 病理診断科 後藤優子
- 留学の経緯
- wie viel kostet es?(それはいくらですか)
- 密着!ヴュルツブルク生活24時
- 留学の成果
要約
2024年の4月から6月、10月から12月の2度に渡り、計半年間ドイツのヴュルツブルク大学で悪性リンパ腫の診断を学んできました。留学中は徳洲会病院から資金援助をしていただき、帰国後にもすぐに職場に復帰できる体制が整っていたことは大変心強いものでした。ヴュルツブルク大学では半年で約1500件の骨髄、リンパ組織の標本を検鏡し、今後の病理医人生に大きく影響する経験となりました。私を受け入れてくださったローゼンヴァルト教授とヴュルツブルク大学血液病理の先生方、ローゼンヴァルト教授に紹介してくださった久留米大学の大島先生、快く送り出してくださった福岡徳洲会病院病理の鍋島先生、瀧澤先生、安達先生、スタッフの皆様、ドイツ語の個人授業を請け負って下さった鹿児島大学教育学部前教授の安東先生、そして初めてのケースに柔軟に対応してくださった青笹先生(徳洲会病理部会最高顧問)、乗富先生(福岡徳洲会病院院長)はじめ徳洲会病院の各担当者の皆様に感謝いたします。
1.留学の経緯
筆者のバックグラウンド
「吾輩はドイツ生まれの病理医である。父の留学中にヴュルツブルクで生まれ、一歳の時に帰国したため、その当時の記憶は一切ない。」
というのが私の最も根底にあるルーツになります。いつかドイツに行きたい、と言う気持ちを抱えたまま成長した私は、鹿児島大学の医学部に入学しました。一年生の終わりの春休みにドイツ研修旅行に参加するため、教育学部の安東教授のもとで一年間みっちりと、本当にみっちりと、どのくらいみっちりかと言うと英語の授業で身長を聞かれた時にドイツ語しか出てこなかったくらいにみっちりと、ドイツ語を勉強しました。その経験が、今回の留学につながる二つ目のキーポイントとなりました。大学時代にドイツ語検定三級を取り、その後長らくドイツ語から離れてはいましたが、街中で道を尋ねたり、駅の放送を聞き取るくらいのドイツ語力は持ち合わせがありました。
こうして私はドイツに飛んだ
2019年、福岡徳洲会病院に勤務し始めた最初の週の金曜日に、毎週久留米大学から応援に来てくださっている大島教授にご挨拶をしました。その際に「悪性リンパ腫の勉強しにくる? いいよー」とフランクに誘っていただいたのが始まりだったように思います。当時の上司であった中島先生が掛け合ってくださり、徳洲会病院の方からも快諾されたため、週一回久留米大学で悪性リンパ腫の勉強をさせていただくこととなりました。
久留米大学に通い始めて一年ほど経った頃だったでしょうか、私がドイツ生まれでドイツに留学したかった、という話をした気がします。その際に大島先生が「ドイツいく? 伝手あるよー」とこれまたフランクに紹介してくださったのが、ヴュルツブルク大学のアンドレアス・ローゼンヴァルト教授でした。2021年ころに最初のコンタクトをとった時には、「建物が建て替わるのでしばらくは受け入れが無理」という話で、その後すぐにコロナ禍に入り、留学の話は立ち消えになったかと思われました。
留学の話が再活性化したのは2023年の秋の病理学会(久留米)でアンドレアス教授に直接対面してからでした。その時にも渋々という空気で、これはもうだめかなと思っていたのですが、2024年の年明けの挨拶をメールした際、その返事で「4月からどう?」ときたものだから、朝イチで声をあげて飛び起ました。
そこからアンドレアス教授とメールでやり取りを行い、すでに久留米大学から研究目的で渡独しておられた河本先生にも助言をもらいながら、3ヶ月を2回、計6ヶ月行くことにしました。
それと並行して、鹿児島大学をすでに退官されていた安東先生に泣きつき、オンラインでのドイツ語講座を1月から週二回でして頂きました。また、アパートの契約や設備の確認についても大変お世話になりました。
福岡徳洲会病院の方も、私が抜ける人員的な穴を埋めるため病理医を1人増やして対応してくださり、多方面からのバックアップを受けて渡独することとなりました。
留学期間について
今回私は2024年4月から6月と、10月から年末の2回に分けての渡独としました。これはドイツでは90日以内の滞在ならばピザが必要なかったことに由来しています。また、一度90日滞在してから次の渡独までのインターバルも90日だったので、ちょうど3ヶ月ごとにドイツ、日本、ドイツで過ごすスケジュールです。
最初は半年を希望していたのですが、半年だとビザの申請をしてから帰るまでにビザが降りない(仮ビザのまま帰国する)可能性が高い、というアドバイスを受けたため、このような変則的なスケジュールとなりました。ただし90日カツカツに予定を組むと、飛行機の予定変更などで90日を超えてしまい違法滞在になる可能性があるので、84日くらいで調節しました。
2. Wie viel kostet es?(それはいくらですか)
この体験記を読んでくださる方の約1/3は、今後留学を考えている方々と察します。そのため、ここでは具体的な費用について(あくまで私の場合ですが)記載していこうと思います。(1ユーロ=165円換算)
今回私が留学に際して必要としたお金は、大きく分けて「飛行機代」「家賃」「生活費」の三つです。
飛行機代は前半はJAL、後半はANAで、どちらも東京フランクフルト直行便を使用しました。戦争の影響や円安でなかなかお高く、どちらも(福岡東京代込みで)往復28万円程度でした。
住居は前半は家具付きのアパートを個人で契約し、後半は大学の家具付き短期留学者用ゲストハウスに入居しました。アパートが月約11万円、ゲストハウスは月約9万円をそれぞれ3ヶ月(光熱費込み)です。なおドイツのアパートは個人の部屋に洗濯機がないことが多く、地下の共用洗濯室(有料)を週一回、それ以外は毎日手洗いで洗濯していました。
生活費の大半は食費となります。平日の昼は自作の弁当を持参し、週に1度ほどケバブ(7ユーロ程度)のテイクアウト、月に2度程度外食をする生活で、一月約10万円ほどでした。ちなみに大学の学食は一食5-6ユーロですが、量が多すぎて合わなかったのでほとんど利用しませんでした。
また、交通費については月49ユーロで電車、バス、路面電車が全て乗り放題のサブスクチケットをトータル6ヶ月使用しました。週末に観光で他の街に出かけるときにも、この乗り放題チケットがとても便利でした。
留学している間、徳洲会病院からは平時の6割のお給料を頂いていたので、経済的な不安はあまり感じることなく渡独することができました。
3. 密着!ヴュルツブルク生活24時
ここでは、具体的に私がヴュルツブルクでどんな生活をしていたのかを記載していきます。
6:20 | 起床 |
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6:50 | 部屋を出る |
7:20 | 大学に到着 |
8:15 | 朝の全体ミーティング(解剖や授業の有無を確認)に参加 |
8:30-10:00くらい | 所見会(後述)に参加 |
10:00-12:30 | 検鏡 |
12:30-13:30 | ランチ |
13:30-17:00 | 検鏡 |
18:00 | 買い出しを済ませて帰宅 |
19:00頃 | 夕飯、風呂、洗濯、弁当作りなど |
22:00頃 | 就寝 |
私は基本的に8時間睡眠をしないと良好なパフォーマンスを発揮できない人間なので、夜10時には寝るようにしていました。
ヴュルツブルク大学にはドイツ全土から大量の悪性リンパ腫疑いの標本が集まってきます。コンサルテーションの返事まで終わったそれらの標本を、それぞれ診断医が私のところに持ってきてくれて、私はそれを検鏡してドイツ語の診断書と格闘しながら読み解き、質問がある時にはそれぞれの診断医のところにいくか、翌朝の所見会(ディスカッション顕微鏡という、10人くらいで一度に覗ける顕微鏡で標本を見ながら、ああでもないこうでもないと話し合う会)に持っていく、というスタイルです。時折診断医が声をかけてくれて、コンサルトの返事をドイツ語で書くのをリアルタイムで見せてもらえることもありました。
渡独してすぐの頃は、一件一件に躓くことも多く、1日20件も見ると頭が痺れていましたが、後半になるとドイツ語の診断書にもある程度慣れて、30-40件を1日で見られるようになっていました。
なお朝の所見会は全てドイツ語なので、毎日携帯で音声を録音させてもらい、大学の行き帰りや夏に帰国した時にもその音声を聞き返していました。
また、ヴュルツブルク大学には理系の留学生を対象とした留学生交流グループがあり、そのグループに参加して街のガイドさんと一緒に散策したり、夕飯を食べたり、クリスマスのクッキーを焼いたりもしました。ドイツ人はもちろん、インドやアフリカ、トルコ、イタリアなど様々な国からの留学生と交流を持つことができたのも、大変良い経験になりました。
4. 留学の成果
3ヶ月を2回、トータル6ヶ月の間に、約1500件の悪性リンパ腫に関係する標本を経験することができました。久留米大学での件数は週に1回のペースで1年に500件程度でしたから、半年間で約三年分の経験を一気に積んだことになります。この「短期間に集中して見る」というのが、普段の診療の合間では成し得ない事であり、本当に得難い経験となりました。
反応性をはじめ、ホジキンリンパ腫やB細胞性、T細胞性のリンパ腫、骨髄では白血病やリンパ腫の浸潤など、満遍なく幅広い症例を経験しました。帰国後は福岡徳洲会病院で、一皮剥けた病理医として日々の診療に励みつつ、今回の経験を活かした病理医人生を歩んでいきたいと思います。